沿革

1884年(明治17年)5月 江藤直純、京橋区南鍋町(現・銀座5丁目)の下宿屋2階で「時事新報広告取次」業務をはじめる。
1886年(明治19年)11月 江藤直純、日本で初めての広告業「弘報堂」を京橋区滝山町(現・銀座6丁目)に設立。11月3日 「広告取次業 弘報堂」の命名式の小宴を開く。
1888年(明治21年) 湯澤精司、「廣告社」創立。
1889年(明治22年) 谷口新造、「豊國社(豊國通信社の前身)」を創業。
1893年(明治26年) 弘報堂、廣告社、金蘭社、帝国通信社、正路喜社、広目社の6社で「東京新聞広告取扱同盟」を結成。
1894年(明治27年)3月 弘報堂、京橋区尾張町新地1丁目(現・銀座5丁目)(元・自由新聞社跡地)に移転。
1897年(明治30年)2月 弘報堂事務所を京橋区尾張町2丁目(現・銀座6丁目)に移転。
1897年(明治30年)10月 「東京新聞広告取次同盟会」を結成(1902年に「八日会」と改称)。不当競争防止と広告料金不払い広告主対策が目的。
1904年(明治37年)9月 弘報堂新社屋を京橋区元数寄屋町2丁目(現・銀座5丁目ソニービル付近)に新築。
1917年(大正6年) 富永良太郎、「告天社」を創業。
1919年(大正8年)9月 江藤甚三郎副社長が第2代社長に就任。
1920年(大正9年)5月 「弘報堂」を株式会社に改組。
1923年(大正12年)9月 関東大震災のため「弘報堂」社屋・重要書類の大半を焼失。罹災直後、事務所を京橋区数奇屋町に仮設。
1928年(昭和3年)7月 「弘報堂」事務所を京橋区銀座西5丁目對鶴館(現・銀座5丁目)に移転。
1936年(昭和11年)1月 「弘報堂」事務所を京橋区銀座西五丁目の共同建物(株)の新築ビル3階(前・銀座5丁目東芝ビル)に移す。
1937年(昭和12年)1月 高田豊爾が第3代社長に就任。
1944年(昭和19年)11月 第二次大戦下における政府の企業整備計画に基づき、「弘報堂」をはじめとする同業社「豊國通信社」、「告天社」、「廣告社」が合併、「株式会社日本廣告社」が設立される。初代会長に富永良太郎(告天社社長)、社長に高田豊爾(弘報堂第3代社長)が就任。
1945年(昭和20年)2月 第2代社長に専務取締役富永和夫(元・告天社副社長)が就任。
1945年(昭和20年)9月 「日本新聞廣告同業組合(現・一般社団法人日本広告業協会)」結成発起会社(13社)に名を連ねる。
1945年(昭和20年)11月 第3代社長に谷口武雄副社長が就任。
1946年(昭和21年)5月 本社を銀座5丁目(前・秀吉ビル)に移転。
1952年(昭和27年)4月 浦和出張所(現・埼玉支社)開設。読売新聞埼玉県版広告取扱業務開始。
1956年(昭和31年)9月 大阪支社開設。
1966年(昭和41年)9月 本社を銀座4丁目(弥生ビル)に移転。
1968年(昭和43年)5月 第4代社長に平野博吉専務昇任。
1969年(昭和44年)5月 小平正雄取締役、日本広告業協会より第4回吉田秀雄記念賞個人賞受賞
1975年(昭和50年)11月 第5代社長に小川密雄専務昇任。
1977年(昭和52年)5月 谷口武雄相談役、日本広告業協会より第12回吉田秀雄記念賞個人賞受賞。
1978年(昭和53年) 谷口武雄相談役、紫綬褒章を受ける。
1981年(昭和56年)6月 第6代社長に丸山武常務昇任。
1988年(昭和63年)5月 第7代社長に高山正行常務昇任。
1992年(平成4年)5月 鈴木輝夫取締役媒体部長、吉田秀雄記念賞グループ賞受賞。
2000年(平成12年)5月 第8代社長に鈴木輝夫取締役昇任。
2001年(平成13年)5月 高山正行会長、日本広告業協会より第36回吉田秀雄記念賞個人賞受賞。
2008年(平成20年)2月 本社事務所を新宿区箪笥町22番地に移転。
2009年(平成21年)4月 第9代社長に川相貴由就任。
2011年(平成23年)4月 第10代社長に水野俊作が就任。